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       ルアンパバーン    見どころ紹介(2)        町の東部以外

  ルアンパバーンの見どころは町の東側に集まっているが、それ以外の見どころをまとめてみた。いずれも観光客はまばらで、ルアンパバーン本来の雰囲気がうかがえる。


内容
ワット=ウィスンナラート(タート=マークモー)  ワット=アーハーム
ワット=タートルアン
メコンの夕暮れ clickで拡大
    メコン川の景色も必見
 ワット=ウィスンナラート(タート=マークモー) ワット=ウィスンナラート タート=マークモー clickで拡大 ワット=ウィスンナラート 本堂 clickで拡大   プーシーの丘の南側、王宮と反対側に位置する寺院で、ワット=シエントーンより古く、およそ500年の歴史を持つ。本堂はかつては2重屋根の木造で、ラオス建築の傑作であった。大きな仏塔タート=パトゥムは、その形からタート=マークモー(すいか仏塔)とも言われ、長細いすいかの上半分を台座に乗せた格好をしている。残念ながら本堂もこの仏塔も後世の再建だが、仏塔の中から発見された仏像や財宝類は、現在本堂内や王宮博物館に展示されている。


  来歴  16世紀初め、ウィスンナラート王(位1500-20)は、それまでワット=マノーロム(町の西側、ワット=タートルアンの近く)に置かれていたパバーン仏を新たに安置するため、1513年にこの寺院を創建した。またタート=パトゥムはその王妃が1514年に建立したと伝えられる。1887年、ホー族の侵入によって本堂は破壊され、タート=パトゥムも荒らされ多くの仏像が持ち去られた。タート=パトゥムは1914年に崩壊したが、その時前述の通り仏像や財宝が発見された。現在の本堂は1896〜98年、タート=パトゥムは1932年に再建されたものである。
写真 (1)仏塔の正面  (2)本堂内部の仏像たち  (3)本堂内部の仏像たち(近くから)

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 ワット=アーハーム ワット=アーハーム clickで拡大   ワット=ウィスンナラートの北隣、同じ境内の中に並んで立っている。ルアンパバーンのピーマイ(新年)に登場する「プーニュー・ニャーニュー」(ニューおじいさん・ニューおばあさん)の仮面は、普段この寺院の祠に保管されている。プーニュー・ニャーニューとはこの土地の精霊にして祖先神、いわばアダムとイヴのような存在として、親しみと尊敬を集めている。


  来歴  本堂は1818年マンタトウラート王(位1817-36)が建てたものだが、それ以前からここには寺院があったという。歴史をたどると、ファーグム王(位1351-71)がここに土地の精霊を祀る祠を建てた。その後、熱心な仏教徒だったポーティサラート王(位1520-50)は精霊信仰を禁止し、祠を破壊して寺院を建てたものの、不幸な出来事が相次いだため、1563年に祠は再建された。それ以後、この地は昔からの精霊信仰と、後世持ち込まれた仏教が共存する場所になった。「プーニュー・ニャーニュー」がこの寺院の祠に保管されているのも、そういういきさつによるものだ。

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 ワット=タートルアン   町の西側のはずれ、小高い丘の上に立つ。質素な感じの本堂、角ばった仏塔と、全体的に武骨なイメージを与える。本堂の両サイドの仏塔のうち、金色の方はシーサワンウォン王(位1904-59)の遺灰が埋められている。もう1基には仏舎利が納められているという。



ワット=タートルアン clickで拡大 写真 (1)本堂
(2)丘の下の競技場
  来歴   伝説によると、BC3世紀、インドのアショーカ王がこの地に派遣した使節がこの地に僧院を建てたという。その確かな証拠はないが、ランサーン王国建国後、この地にはいくつかの寺院が建てられたので、古くからの仏教信仰の中心地であったことは間違いないだろう。現存の本堂と仏塔は、1818年マンタトウラート王が建立したものである。

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