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       ルアンパバーン    見どころ紹介(1)        町の東部

サッカリン通り clickで拡大   ルアンパバーンの中心は、郵便局とプーシーホテルの交差点で、一日中人通りが多い。そこから東へのびる道、ワット=シエントーンまでの約1.5km(シーサワンウォン通り・サッカリン通り)は見どころが集中し、ホテル・ゲストハウスや食堂も多く、観光客が最も目につく地区である。
  町の中心から順に紹介していく。


内容 ワット=マイ  王宮博物館(旧王宮)  パバーン仏の来歴  プーシーの丘
ワット=シエントーン近くの寺院群  ワット=シエントーン



 ワット=マイスワンナプーマーハーム (ワット=マイ)   王宮の西隣に位置し、五層の大きな赤い屋根が目立つ寺院。やや遠く、とくに大通りから見ると最もバランスよく見える。見どころは、本堂の外壁に描かれた金色のレリーフ。本生譚(ほんじょうたん、ブッダの前世の物語)や「ラーマーヤナ」、ルアンパバーンの町の風景が題材になっている。


  来歴  18世紀末、アヌルッタ王(位1791-1817)が創建。次のマンタトウラート王(位1817-36)の1821年ころ本堂の修復が始まり、1890年までかかったという。王家の寺院として建てられ、ラオス仏教界最高位の高僧もここに居住した。1887年、中国系ホー族が町を襲撃すると、パバーン仏はこの寺院に避難し、以後1947年に王宮(現・王宮博物館)に移されるまでこの寺院に安置されていた。
  今日では、ピーマイラオ(ラオス新年。4月13-15日)の時、パバーン仏は輿に乗って旧王宮からこの寺院に運ばれ、本堂前に特設された礼拝堂に3日間安置され、灌水の儀式を受けるという。
ワット=マイ clickで拡大 ワット=マイ 正面の扉 clickで拡大 ワット=マイ内陣 clickで拡大 写真
  (1)ワット=マイ全景
  (2)5重の屋根
  (3)扉左側のレリーフ
 

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 王宮博物館(旧王宮) 王宮博物館正面 clickで拡大   通りに面した立派な門構え。中に入るとヤシの並木ときれいに整備された庭が目に飛び込む。その先に立つのが旧王宮、白い壁とえび茶色の屋根が緑に映える。正面には、3つ頭のゾウと王蓋の王室の紋章が描かれ、ラオスの国旗が掲げられている。正面の階段を登ったところで靴を脱ぎ、左手奥でチケットを買い、ロッカーに荷物を預ける。建物内では写真撮影はできない。
写真王宮博物館の正面 (1)正面を拡大 (2)王室の紋章 (3)右斜めから


  建物内部   まず、外側のテラスを通って右手に行くと、何体かの仏像が置かれた小部屋がある。その中央、黄色に輝くのが有名な「パバーン仏」である。高さ70cm、重さ50kg、金の純度は90%という。両手を前につきだした施無畏印(せむいいん。人々の恐れを取り除く事を表わす印)の仏像は、思ったより小さいが貫禄十分だ。地元の人たちが平伏して拝んでいた。
パバーン仏 clickで拡大 ◆◆ パバーン仏の来歴  サワー(今日のルアンパバーン)王の息子・ファーグムはクメール王国(カンボディア)のアンコールトムで学んでいたが、父王が亡くなり王位争いが起きると、クメール王から軍勢を借りてサワーを占領。その後周辺諸国を平定して、1353年ラーンサーン王国を建国した。1357年には王妃(クメールの王女)の要請に応えて、クメール王から仏教使節団が来訪、この地に上座部仏教を伝え、パバーン仏をもたらしたという。伝承によれば、このパバーン仏はもとは1世紀のスリランカで作られたとされている。
  1556年、時のセーターティラート王はウィエンチャンに王都を移すが、パバーン仏はこの町に残され、町もルアンパバーンと改称された。1707年ウィエンチャンへ移されたが、1778年にはアユタヤ滅亡から再興したシャム(タイ)が攻め込み、パバーン仏を持ち去ってしまった。4年後には返還されたが、1828年ウィエンチャンのアヌ王がシャムを攻撃、その報復を受け再びパバーン仏はシャムへ持ち去られた。その後ルアンパバーン王チャンタラートがシャム軍に協力したため、1866年パバーン仏はルアンパバーンに返還され、ワット=ウィスンナラートに、ホー族の侵入に備えて1887年にはワット=マイに安置された。さらに1947年には王宮へ移された。
  なお、この仏像は精巧なコピーで、本物はウィエンチャンかモスクワで厳重に保管されている、という噂もある。
王宮博物館 裏側出入り口 clickで拡大  正面へ戻って内部へ入ると、宗教行事などが行われた広間になっている。僧が説教に使った椅子が残されていた。そこから右回りの一方通行で内部を見学するようになっている。右手の部屋は謁見用で、町の様子を描いた絵や歴代王の胸像などが飾られていた。次に大きな広間に出る。ここは戴冠式が行われる場所で、壁一面には、やはり町の様子などを描いたガラスのモザイク画で覆われている。このガラスは日本から取り寄せたものだそうだ。ワット=ウィスンナラートなどから運び込まれた仏像も展示されている。
  この奥は王家の私的空間で、寝室、食堂、図書室などが並ぶ。調度品は豪華だが、部屋は質素な印象だ。TVが置いてある部屋では、ピーマイラオの映像が見られ、おもしろかった。
王宮博物館裏口 clickで拡大 王宮博物館 裏手の庭 clickで拡大   ぐるりと周って戴冠式の広間に戻り、次の部屋には各国から王室へ贈られた品々や勲章などが展示されている。米国から贈られた月の石など、さすがと思わせるものに混じって、オーストラリアからの使い古したようなブーメランは異彩を放っていた。ここを見終わると最初の広間に戻ってくる。出口付近にはちょっとした売店があり、土産物を売っていた。


  来歴  1904年、ルアンパバーン王国は正式にフランスの保護国となり、フランス人が設計した新たな王宮が建てられることになった。フランスとラオスの建築様式が融合したデザインだそうだ。建築には多くのヴェトナム人労働者が従事し、1909年に完成した。その後、王たちはいろいろな箇所をラオス風に改修し、たとえばちょうど戴冠式の広間の上に立つ尖塔も、はじめはフランス風のものだったが、後に現在あるラオス式のものに取り替えられたという。
 1975年の革命まで王族が居住していたが、その後1976年に博物館として公開された。



劇場と王の立像 clickで拡大 ホーパバーン内部 clickで拡大 ホーパバーン clickで拡大   その他の建物  1.ホー・パバーン(パバーン仏堂)…王宮の右手のラオス式の礼拝堂。文字通りパバーン仏を安置するため、1963年に建築が始まったものの、その後の内戦や革命、革命政府の仏教弾圧などで中断し、ようやく1993年に工事が再開、最近完成した。内部にはパバーン仏を納める台座もあるが、現在(2006年8月)、主のパバーン仏は前述の通り、王宮博物館の一室に収まっていた。
2.劇場…王宮の左手の近代的な建物。夕方からラオスの仮面劇などの伝統芸術が見られる。

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 プーシーの丘 西側から見たプーシーの丘 clickで拡大   高さおよそ150mとそれほど高くはないが、高い建物のないルアンパバーンでは、格好のランドマークである。夜にはライトアップされ、頂上の仏塔が黄色く輝く。登り口は2か所あり、1つは王宮の正面から階段を登っていく。もう1つ、王宮と丘を挟んで反対側のナムカン川の方から登ると、途中ワット=タムプーシーという寺院を通って、頂上にたどり着く。頂上には簡単な展望台、タート=チョムシーという仏塔と小さなお堂、東の方には高射砲が1台残されている。
  以前来た時(1999年)は、ダーラー市場の脇からも登れたが、現在市場は閉鎖されたのでそこから登れるか不明。また、当時は入場料不要の登り口もあったが、現在は少なくとも前述の2か所では、10,000K徴収される。
  来歴   伝説によると、昔隠者(ルーシー)の二兄弟がこの丘(プー)の洞窟に住み、丘の頂上に2本の柱を立てて天を祭った。これがルアンパバーンの町を始まりだという。 

プーシーからの眺め(メコン川) clickで拡大 プーシーからの眺め(ナムカン川) clickで拡大 タート=チョムシー clickで拡大 ワット=タムプーシー clickで拡大

写真 (1)王宮を見下す
(2)メコンの対岸
(3)町の中心
写真 (1)ナムカン川に沿って
(2)南西方向を見る



写真 (1)タート=チョムシーのお堂


写真(1)ちょっと太めの仏像
(2)仙人をまつる
(3)寺の登り口


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 ワット=シエントーン近くの寺院群 おこしを干す clickで拡大 ふと立ち寄った寺院 clickで拡大   王宮博物館とプーシーを過ぎると、おそらくこの町で最もツーリスティックな場所になる。通りの両側には、小じゃれたレストラン、みやげ物屋、マッサージ屋、旅行会社が並び、脇道を入ればゲストハウスの看板が目につく。
  しかし5分も歩くと「繁華街」は終わり、通りの名も「サッカリン通り」になると、今度は寺院が並ぶ静かな町並みになる。寺院はその境もよくわからないほど接近して隣り合う。訪ねたのが午後だったからか、どの寺院もひっそりとしていた。またこの辺りには、紙すき工房兼店舗が数軒ある。米から作ったおこしを乾燥させる作業も見ることができるので、ゆっくり散歩するのがお勧めだ。
写真静かな町並み
写真ふと立ち寄った寺院にて  (1)通りから見た寺院  (2)ひょうきんな門番  (3)赤い!仏像
写真ワット=セーン

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 ワット=シエントーン ワット=シエントーン 生命の木と寝仏の小堂 clickで拡大   メコン川とナムカン川の合流点の近く、町の一番東に位置する。昔からこの地点はルアンパバーンの町の入口にあたり、歴代の王は対岸のワット=ローンクンで斎戒した後、船でメコンを渡ってこの寺院に入り、その翌日に即位式に臨んだという。
  境内は広く、ゆったりした時間が流れている。ルアンパバーンのシンボルとも言える、特色ある屋根で名高い本堂は必見だが、本堂隣にある寝仏の小さなお堂(レッドチャペル)、それに境内南東部にある霊柩車庫も見てみたい。



2本の川の合流点 clickで拡大   来歴   この町開闢の伝説によると、2人の隠者が居を構えたのが「黄金の木」の近く、2本の川が交わり2匹の大蛇が住み着いていたこの辺りだという。寺院は1560年、セーターティラート王(位1550-72)が建立した。大商人にして、このシエントーンの初代王になったチャンタパニートの屋敷がこの辺りにあったということで、彼の業績をたたえこの場所に寺院を建てたという。しかし王はこの直後にウィエンチャンに都を移している。
  この寺院は以後も王室の保護を受け、度重なる改修の結果オリジナルの形状は不明である。1887年にホー族が侵入した際、他の寺院は大きな被害を受けたが、幸いホー族の指導者・ダオ=ヴァン=トリはこの寺院で見習い僧として過ごしたことがあったため破壊を免れた。


  おもな建物   1.本堂 三層の屋根が絶妙の傾斜で重なり、特色ある外見を形作る。屋根は下まで低く垂れ下がっているので、全体として重心が低く、威厳を感じさせる。ルアンパバーン様式というそうだ。入口や内部の壁には黒地に金色で書かれた仏像、仏伝やチャンタパニートの物語などが描かれている。内部には大きな金色の仏像が鎮座していた。見逃せないのは裏側の外壁にモザイクで描かれた「黄金の木」である。かつてここには高さ160mの大木があったというが、その木をモデルにクジャクやフクロウなどの動物が描かれている。
ワット=シエントーン 本堂 clickで拡大 ワット=シエントーン 本堂正面 clickで拡大 ワット=シエントーン 本堂裏「黄金の木」 clickで拡大 ワット=シエントーン 本堂入口扉 clickで拡大

写真本堂をもっと見る  (1)角度を変えて  (2)「黄金の木」拡大  (3)入口の壁画  (4)内陣  (5)ご本尊
  (6)内陣の壁画  (7)「ここは涼しいよ〜」
2.寝仏の小堂(レッドチャペル) 外壁全体がピンク色に塗られ、側面と背面には、伝統的な生活や宗教行事の様子を枝いたモザイク画で埋められている。このモザイク画は1957年、ブッダ入滅2500年記念事業として改修された時に加えられたものである。
  内部には黒い寝仏1体と、両手を前につきだした仏立像1体などがまつられている。寝仏は1569年、セーターティラート王の命で作られた、ラオスを代表する仏像の一つである。1931年に展覧会のためパリへ持ち出され、その後ウィエンチャンに帰還、1952年にルアンパバーンに戻ったという。
3.霊柩車庫 何本もの頭を持つ大蛇に乗せられた金色の輿が納められている。1960年に行われたシーサワンウォン王の葬儀に使われたという。内部の壁面は赤く塗られ、やはり町の様子を描いたモザイク画で飾られている。
ワット=シエントーン 寝仏の小堂 clickで拡大 ワット=シエントーン 寝仏の小堂の壁画 clickで拡大 ワット=シエントーン 王の霊柩車 clickで拡大 写真寝仏の小堂
  (1)お堂の内部の仏像たち
  (2)壁画その2 
写真霊柩車庫
  (1)建物全体
  (2)内部の仏像と壁画

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