ルアンパバーン 見どころ紹介(1) 町の東部
ルアンパバーンの中心は、郵便局とプーシーホテルの交差点で、一日中人通りが多い。そこから東へのびる道、ワット=シエントーンまでの約1.5km(シーサワンウォン通り・サッカリン通り)は見どころが集中し、ホテル・ゲストハウスや食堂も多く、観光客が最も目につく地区である。
通りに面した立派な門構え。中に入るとヤシの並木ときれいに整備された庭が目に飛び込む。その先に立つのが旧王宮、白い壁とえび茶色の屋根が緑に映える。正面には、3つ頭のゾウと王蓋の王室の紋章が描かれ、ラオスの国旗が掲げられている。正面の階段を登ったところで靴を脱ぎ、左手奥でチケットを買い、ロッカーに荷物を預ける。建物内では写真撮影はできない。
◆◆ パバーン仏の来歴 サワー(今日のルアンパバーン)王の息子・ファーグムはクメール王国(カンボディア)のアンコールトムで学んでいたが、父王が亡くなり王位争いが起きると、クメール王から軍勢を借りてサワーを占領。その後周辺諸国を平定して、1353年ラーンサーン王国を建国した。1357年には王妃(クメールの王女)の要請に応えて、クメール王から仏教使節団が来訪、この地に上座部仏教を伝え、パバーン仏をもたらしたという。伝承によれば、このパバーン仏はもとは1世紀のスリランカで作られたとされている。
正面へ戻って内部へ入ると、宗教行事などが行われた広間になっている。僧が説教に使った椅子が残されていた。そこから右回りの一方通行で内部を見学するようになっている。右手の部屋は謁見用で、町の様子を描いた絵や歴代王の胸像などが飾られていた。次に大きな広間に出る。ここは戴冠式が行われる場所で、壁一面には、やはり町の様子などを描いたガラスのモザイク画で覆われている。このガラスは日本から取り寄せたものだそうだ。ワット=ウィスンナラートなどから運び込まれた仏像も展示されている。
ぐるりと周って戴冠式の広間に戻り、次の部屋には各国から王室へ贈られた品々や勲章などが展示されている。米国から贈られた月の石など、さすがと思わせるものに混じって、オーストラリアからの使い古したようなブーメランは異彩を放っていた。ここを見終わると最初の広間に戻ってくる。出口付近にはちょっとした売店があり、土産物を売っていた。
その他の建物 1.ホー・パバーン(パバーン仏堂)…王宮の右手のラオス式の礼拝堂。文字通りパバーン仏を安置するため、1963年に建築が始まったものの、その後の内戦や革命、革命政府の仏教弾圧などで中断し、ようやく1993年に工事が再開、最近完成した。内部にはパバーン仏を納める台座もあるが、現在(2006年8月)、主のパバーン仏は前述の通り、王宮博物館の一室に収まっていた。
高さおよそ150mとそれほど高くはないが、高い建物のないルアンパバーンでは、格好のランドマークである。夜にはライトアップされ、頂上の仏塔が黄色く輝く。登り口は2か所あり、1つは王宮の正面から階段を登っていく。もう1つ、王宮と丘を挟んで反対側のナムカン川の方から登ると、途中ワット=タムプーシーという寺院を通って、頂上にたどり着く。頂上には簡単な展望台、タート=チョムシーという仏塔と小さなお堂、東の方には高射砲が1台残されている。

王宮博物館とプーシーを過ぎると、おそらくこの町で最もツーリスティックな場所になる。通りの両側には、小じゃれたレストラン、みやげ物屋、マッサージ屋、旅行会社が並び、脇道を入ればゲストハウスの看板が目につく。
メコン川とナムカン川の合流点の近く、町の一番東に位置する。昔からこの地点はルアンパバーンの町の入口にあたり、歴代の王は対岸のワット=ローンクンで斎戒した後、船でメコンを渡ってこの寺院に入り、その翌日に即位式に臨んだという。
来歴 この町開闢の伝説によると、2人の隠者が居を構えたのが「黄金の木」の近く、2本の川が交わり2匹の大蛇が住み着いていたこの辺りだという。寺院は1560年、セーターティラート王(位1550-72)が建立した。大商人にして、このシエントーンの初代王になったチャンタパニートの屋敷がこの辺りにあったということで、彼の業績をたたえこの場所に寺院を建てたという。しかし王はこの直後にウィエンチャンに都を移している。
