タイ・カンボジア国境の断崖上に遺跡があるらしい、と聞いたのはかなり昔だった気がする。ここから眺められる絶景のためか、この地は古くから聖地とされてきたが、9世紀にヒンドゥー寺院が創建され、12世紀のスールヤヴァルマン2世(かのアンコール=ワットを築いたクメール帝国全盛期の王)の時代まで営々と建設が続けられた。その後、アンコール=ワットなどと同様に上座部仏教の寺院となった。
つづいて警察(国境警備隊?)のチェックがあり、運転手さんは何かカード(おそらく身分証)を預けていた。さらに山を登ること数分、広い駐車場を兼ね備えたビジターセンターに到着した。ウボンから2時間あまりの道のりだった。
ここを越えると広場になっていて、手前にチケット売り場の小屋があり、おきまりの土産物屋・飲み物屋が並んでいる。パスポートのチェックなどは全くなかった。広場の向こうに「カンボジア王国 プレアヴィヒア」(カオプラウィハーンのカンボジアでの呼び名)と書いた立派なゲートが立っている。そこでチケットもぎりの係員にチケットを見せてゲートを通過すると石段になっている。ところどころ崩れていてかなり歩きにくい。
この壮大な寺院は、手前の第1楼閣から断崖そばの第4楼閣まで、あわせて4つの楼閣が約800mの一直線上に並んでいる。ナーガ(大蛇の神)で装飾された石段を登り切ると第1楼閣が目の前に見えた。半分倒壊しており、石段をおそるおそる登っていく。何本かの石柱と破風が残るのみで、本来の姿はわかりにくい。
ここから緩やかな上り坂を行くと、第2楼閣がある。これもかなり崩れているが、南側の破風には「乳海撹拌(にゅうかいかくはん)」、その下のリンテルには「横たわるヴィシュヌ」をモチーフにした美しいレリーフが残っている。いずれも他のクメール寺院でも見られる図であり、「横たわるヴィシュヌ」はタイ東北部のパノムルンのものとよく似ている。戦乱の中、よく残ったと思う。
さらに進むと第3楼閣が現れる。ここはかなり保存・修復がされていて、外側は原形に近い形で残っている。破風やリンテルにも多くのレリーフが残されている。ただよく見ると、銃弾のあとと思われる小さい穴がたくさんあった。
第3楼閣の南側を出て、露店の並ぶ石畳の道を30mも行くと、いちばん奥まった場所にある第4楼閣にたどり着く。ここが一番高いところにあり、規模も大きい。回廊もしっかり残っている。中心祀堂は上部が崩れ去って石材がゴロゴロしているが、中に入ると仏像の絵と祭壇が備え付けられ、お坊さんが1人みえた。入口には、地雷のせいか、片足のない若い男性が線香を売っていた。その男性から線香を買ってお参りする。
少し視線を上に起こすと、この辺りと同じような赤茶色の土と疎林が、はるか向こうまでずーっと広がっている。広大なクメール平原だ。未舗装の道がやはりずーっと向こうまで続いていて、道のそばにはところどころに小さな集落らしきものが見えるが、人の動きらしきものは見えない。道にも交通量はほとんどない。
こんなすばらしい遺跡なのだが、一方で否が応でも戦争の傷跡が目に入ってくる。内戦時にはここにポル=ポト派の陣地があったらしく、第3楼閣の東側に高射砲が1基放置されており、またその近くには兵士が暮らしたと思われる横穴があった。また、遺跡の端にはところどころにドクロマークと「危険!! 地雷!!」の赤い看板と、木や石に赤いペンキが塗られていた。この赤いラインを越えると地雷の危険があるということだ。実はこのあとバンコクで新聞(バンコクポスト紙)を読んで知ったのだが、私たちが訪れたたった2日後の1月1日、カンボジアの青年観光客が道を外れて地雷を踏んで重態に陥ったという。本当に地雷は埋まっているようだ。
【この日前半のデータ】
前日にホテルで自動車をチャーター。1日1500B+ガソリン代
7:40 ホテルを出発。 9:00ころ カンタララックを通過。
9:30ころ 国立公園入口に到着。入場料200B(外国人料金)+運転手さんの入場料20B(タイ人料金)+自動車の入場料40B。
9:45ころ カオプラウィハーンのビジターセンターに到着。歩いて国境へ向かう。
国境を越えたところで入場料を払う。200B。(タイ人は50B)
10:00〜11:50 カオプラウィハーンを見学。
12:30 カンタララックに到着。昼食。[→後半へつづく]
1B=約2.8円
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