ペッブリー 見どころ紹介(3)
近郊 カオルアン洞窟・バーンプーン宮殿
このページでは、ペッブリーの町外れにある見所として、カオルアン洞窟とバーンプーン宮殿を紹介する。カオルアン洞窟は町の北、バーンプーン宮殿は町の南に位置し、歩いて行くには少し遠いが、ともに一見の価値は十分にあると思う。町でモーサイを拾い、出かけてみてほしい。
◇カオルアン洞窟 ◇バーンプーン宮殿(プララームラーチャニウェート宮殿)
◇カオルアン洞窟
カオルアン洞窟(第2窟)
町の北約3kmの小高い丘の中腹にある洞窟(鍾乳洞)で、タイでもっとも有名な洞窟の1つである。19世紀半ば、フランス人自然科学者・アンリ=ムオー (Henri Mouhot 1826-1861、アンコール=ワットを広くヨーロッパに紹介したことで有名)がここを訪れ、著書の中で洞窟の様子を挿絵入りで紹介したことで、海外にも知られることとなった。
内部には、多くの仏像が安置され、小さな仏塔まであるが、ほとんどは、市内のワット=プラッププラーチャイ(Phlapphlaa Chai)の住職であったルアンポー・リット師(仏暦2378-2462、西暦1835/6-1919/20)の手になるものである。また、大きな涅槃仏(長さ6m)や座仏などは、ラーマ5世王(在位1868-1910)のお考えで祀られるようになった。
行き方
ペッブリーの町からソンテウかモーサイで。カオワン付近からなら10分かからない。30B。(2007年8月)
(1)公園入口の看板
(2)丘の中腹が入口
(3)ここもサルが多い

(4)洞窟へ下りる
洞窟への入口
広い駐車場でソンテウを下りた。しかし車はほとんどなく、売店も閉まっている。カオワンと同じように週末は混むのだろうか?現国王在位60年を記念する白い建物を右手に、入口をめざして階段を上る。[写真(2)] ここもサルが多く、人間が近づいても逃げない。[写真(3)] 階段を少し上ると、すぐ入口になり、今度は階段を下りる。[写真(4)] 遊歩道や階段などは整備されているので、歩きやすい。
(5)第1窟
(6)左の屋根の下は仏足石
第1窟
階段を下りたところの狭い部分が第1窟である。入口からの光が届くので明るい。[写真(5)] 仏像数体と仏足石が祀られていた。[写真(6)]
(7)大きな第2窟
(8)サルも拝んでいる
第2窟
一番大きな部屋。天井の隙間から光が差込み、神秘的な雰囲気がある。左手奥に大きな座仏と礼拝所があり、花・ろうそく・線香のお参りセットやお土産品をメーチーが売っている。[写真(7)] 洞窟の縁に沿って小さな仏像が何体も並ぶ。[写真(8)]
(9)涅槃仏
(10)どうして赤青なのか?
第3窟
大きな寝仏を右手に見て、第3窟に入る。[写真(9)] 入口の仏像はなぜか、赤青の蛍光灯に照らされ、キッチュな感じだ。[写真(10)] 一番奥には祭壇があった。暗闇には首が取れた仏像もあり、少し気味が悪い。
(11)チャン洞窟の案内看板
(12)チャン洞窟
チャン洞窟
駐車場から町へ戻ろうとしたとき、右手に看板を見つけた。「スントンプーの足跡  チャン洞窟 200m」とあるので行ってみた。[写真(11)] 蛇が出そうな藪の中のぬかるみ道を行く。要所には案内板があるので道に迷うことはない。5分ほどで着いた。何と言うことはない洞窟で、天井には大きな円形の穴がぽっかり開いていた。[写真(12)]
◇バーンプーン宮殿(プララームラーチャニウェート宮殿)
バーンプーン宮殿正面
ラーマ5世王(在位1868-1910年)が雨季を過ごすために作らせた宮殿。王はヨーロッパ式の宮殿を所望し、鉄道局で働いていたドイツ人建築家カール=ドーリング(Karl Döhring)に設計を命じた。彼はスタッフをドイツ人で固め、当時ドイツで流行していた、バロック様式とアールヌーヴォー様式の宮殿を建設した。
しかし宮殿の完成を待たずに王は崩御され、完成は1915年だった。
宮殿正面にはラーマ5世王の立像が立つ。靴を脱いで入場する。1階には応接室や食堂が、2階には寝室やバスルームがある。右手の円形部分は、2階までの吹き抜けになっており、らせん階段が設けられている。部屋には、テーブルや椅子などの調度品は展示されているが、棚の中にあるはずの食器などは全くなく、やや素っ気無い感じもした。
現在は陸軍基地の中にあり、陸軍が宮殿を管理している。
データ
OPEN:毎日 8:00-16:00 入場料 20B(2007年8月) なお宮殿内は撮影禁止である
行き方
ペッブリーの町の南約2kmにある。モーサイで20B。(2007年8月)