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  ス コ ー タ イ の 歴 史


13〜15世紀にかけて栄えたスコータイ朝の歴史を年表にまとめました。

※王名のあとの(  )内は在位年代を示す。年代には諸説あるものもある。
時代 王名 できごと 他のアジア諸国
12世紀 [アンコール王朝]
ジャヤヴァルマン7世
(1181〜1220年頃)
………
◆クメール帝国の支配下
スコータイはクメール帝国(アンコール王朝)の版図に含まれ、クメール人の太守が治める要地であった。当時の中心は、城壁北部のワット=プラパーイルアン。
12世紀末 ジャヤヴァルマン7世、アンコール=トムを造営
1192 鎌倉幕府成立
1206 チンギス=ハン、モンゴル帝国建国
1206 インド、イスラーム王朝のデリー=スルタン朝成立

1225 大越国(陳朝)成立

1262 チェンセーンのマンラーイ王、チェンラーイ建都
1271 フビライ=ハン、国名を「元」と改める
1274 元寇(文永の役、1281弘安の役)
1279 元が南宋を滅ぼし、中国全土を支配

1287 ビルマのバガン朝、元に服属

1292 マンラーイ王、新都チェンマイを建設






1338 室町幕府成立

1351 アユタヤ朝成立




1368 元にかわり、明建国




1392 高麗にかわり、朝鮮(李朝)成立
1397 足利義満、金閣の造営開始
1404 日明貿易開始
1405 明の鄭和、南海遠征を始める
1429 中山王尚巴志、琉球王国を建国
1431 アユタヤ朝、アンコールを占領
   
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[初代]
シーインタラーティット
(1240頃〜70頃)
◆クメール帝国から独立し、スコータイ朝成立
1240年頃 クメール帝国衰退に乗じて、タイ族の有力者であったラート国(ウッタラディット?)主パームアンが、同じタイ族のバーンヤーン国(スコータイ近郊)主バーンクラーンハーオとともに挙兵し、クメール人太守を追放してタイ族の独立を達成。バーンクラーンハーオは、シーインタラーティット王として即位、スコータイ朝を開く。
[2代] バーンムアン
(1270頃〜79)
 
[3代]
ラームカムヘーン
(1279〜98)
◆広大な領域を支配、スコータイ朝の最盛期を現出
北方のルアンプラバンやウィエンチャンから、南方のナコーンシータンマラートまでを服属させた。
1287年 元の南下に備え、同じタイ族の、チェンラーイのマンラーイ王(1292年チェンマイを開都する)、パヤオのガムムアン王と同盟を結ぶ。
1292年 初めてタイ文字が記されたラームカムヘーン王碑文ができる。この碑文によると
・タイ文字は王自身が考案した
・「水に魚あり、田に稲あり」。王国は栄えた。
・困りごとのある者は王宮の入口につるされた鐘を鳴らすと、王自身がその者の相談に乗り、訴訟も公平に裁いた
・南部のナコーンシータンマラートから高僧を招き、上座部仏教を盛んにした
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[4代] ルータイ
(1298〜1346)
◆仏教の拡大に努めるが、版図は縮小。
[5代] グアナムトム
(1346〜47)
 
[6代]
リタイ(マハータンマラーチャー1世)
(1347〜69?)
◆領土回復、仏教に厚く帰依。
ピッサヌロークやナコーンサワンを再度支配下に置く。仏教に帰依し、一時出家。
1362年 アユタヤやルアンプラバンの攻撃に備えて、ピッサヌロークへ遷都。ワット=プラシーラッタナマハタートを建立し、有名なチンナラート仏を鋳造。
[7代]
マハータンマラーチャー2世
(1369?〜98?)
1378年 アユタヤ朝のボーロマラーチャー1世王がナコーンサワン、ピッサヌローク、カムペーンペットを占領。スコータイは降伏、アユタヤの属国となる。
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[8代]
マハータンマラーチャー3世(サイルータイ)
(1398〜1419)
1400年 アユタヤからナコーンサワンを奪還。
1412年 再びアユタヤに服属。
[9代]
マハータンマラーチャー4世
(1419〜38)
◆スコータイ朝、アユタヤ朝に吸収され消滅
1438年 王が亡くなり後継者が絶える。アユタヤ王チャオサームプラヤーとマハータンマラーチャー3世の王女との間に生まれたラーメースワン王子(のちのトライローカナート王)がピッサヌロークの統治者となる。これにより、スコータイ朝は消滅、アユタヤ王国の一地方となる。
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※このページの記述は、『タイの事典』(同朋舎 1993年)を参考にしました。 リンクバー HOME チャオプラヤー川TOP スコータイTOP 前ページ