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しっとりした、昔ながらの北タイの城市
プレーแพร่
ヨム川の夕景--プレー クリックで拡大
ヨム川の夕景--プレー
  北タイの中心都市・チエンマイから、バスでおよそ4時間。チャオプラヤー川の支流の一つ、ヨム川のほとりに開けた小さな町がある。壕と城壁に囲まれた旧市街は、チーク造りの家々や歴史ある寺院が並び、時間がゆっくり過ぎていく。人々の物腰も柔らかで、昔ながらの北タイの城市の雰囲気を、最も味わえる町ではないだろうか。
 このページの内容 
◆見どころ紹介
◆町の来歴~プレー略史
 関連ページへのリンク 
◆見どころ
 城壁内の見どころ(1)
 城壁内の見どころ(2)
 城壁外の寺院など
 郊外の寺院と景勝地
◆旅日記から(08年12月-09年1月)

◆見どころ紹介
城壁内の見どころ(1)
プレー最古の寺院ワット=ルワン クリックで拡大
プレー最古の寺院ワット=ルワン
濠と城壁に囲まれた旧市街には、落ち着いた町並みに多くの寺院が点在する。
◇ワット=ルワン
◇ワット=ポンスナン
◇クム=ウォンブリー(ウォンブリー御殿)
城壁外の寺院など
セーリータイ(自由タイ)博物館 クリックで拡大
セーリータイ(自由タイ)博物館
城壁の東側には、タイヤイ式の寺院や、太平洋戦争中の抗日組織「セーリータイ(自由タイ)」を紹介する博物館があった。
◇セーリータイ博物館
◇ワット=チョムサワン
◇ワット=サボーケーオ
郊外の寺院と景勝地
ワット=プラタートチョーヘー クリックで拡大 ワット=プラタートチョーヘー
プレー県随一の名刹と、奇岩が並ぶ公園は、いずれもプレーの町から10kmほどの郊外にある。
◇ワット=プラタートチョーヘー
◇ペムアンピー森林公園
城壁内の見どころ(2)
チーク造りの家が並ぶ クリックで拡大
チーク造りの家が並ぶ
◇プレーの町並み
◇ワット=プラノーン
◇ワット=プラルワン
◇ワット=プラバートミンムアン
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◆町の来歴~プレー略史
(1)プレー国の建国
828年ころ ワット=ルワンの伝承によれば、ポークン=ルワンポンพ่อขุนหลวงพลが、チエンセーン、サイヤブリー、メーサイなどからやって来たタイルー、タイクーンなどのタイ系諸族とともに、ヨム川河畔の平地に都市を築き、ポンナコーンพลนครと命名したという。
13世紀後半 このころ、プレーはナコーンポンนครพล、ムアンポンเมืองพลなどとよばれた独立国だった。
13世紀末 スコータイのラーマカムヘン大王碑文(1292年)によると、大王はプレーแพลやナーンにいたった、という。
(2)ラーンナーとアユタヤの抗争
1443年 ラーンナー(チエンマイ)のティローカラート王が侵入、属国となる
1456/57年 アユタヤ朝のボーロマトライローカナート王がプレー、ラムパーンに軍を派遣。ラーンナーのティローカラート王が撃退。以後、アユタヤとラーンナーの抗争地となる。
(3)ビルマの支配
1558年 ビルマのバインナウン王がチエンマイを占領。以後200年あまり、ナーンはビルマに服属。
(4)ラッタナコーシン朝時代--半独立国からタイ王国の一部へ
1774年- トンブリー王タークシンがビルマ支配下のチエンマイを攻撃すると、プレー国主パヤー=マンチャイもビルマに反抗、ビルマの拠点チエンセーンを攻撃した。
1894/5年 シャム(バンコク)による中央集権化とラーンナー地方の統治改革。プレーに官僚を送り込み、国主の実権を奪う。
1902年 プレー反乱  プレー総督としてバンコクから派遣されたプラヤー=チャイヤーブーンพระยาไชยบูรณ์の政治に対して、住民のタイヤイ族(ギオ)40-50人が反乱。他の住民や国主チャオピリヤテーパウォン(最後のプレー国主)เจ้าพิริยเทพวงศ์一族の支援を得て、プレーを制圧、総督ら中部タイ人多数を殺害したが、3週間後に鎮圧された。国主はルワンプラバーンへ逃亡。
19世紀末
-20世紀前半
チーク材の伐採で繁栄
1944年 北タイにおけるセーリータイ(太平洋戦争中の抗日組織)の活動拠点となる
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