| (1)プレー国の建国 | |
| 828年ころ | ワット=ルワンの伝承によれば、ポークン=ルワンポンพ่อขุนหลวงพลが、チエンセーン、サイヤブリー、メーサイなどからやって来たタイルー、タイクーンなどのタイ系諸族とともに、ヨム川河畔の平地に都市を築き、ポンナコーンพลนครと命名したという。 |
| 13世紀後半 | このころ、プレーはナコーンポンนครพล、ムアンポンเมืองพลなどとよばれた独立国だった。 |
| 13世紀末 | スコータイのラーマカムヘン大王碑文(1292年)によると、大王はプレーแพลやナーンにいたった、という。 |
| (2)ラーンナーとアユタヤの抗争 | |
| 1443年 | ラーンナー(チエンマイ)のティローカラート王が侵入、属国となる |
| 1456/57年 | アユタヤ朝のボーロマトライローカナート王がプレー、ラムパーンに軍を派遣。ラーンナーのティローカラート王が撃退。以後、アユタヤとラーンナーの抗争地となる。 |
| (3)ビルマの支配 | |
| 1558年 | ビルマのバインナウン王がチエンマイを占領。以後200年あまり、ナーンはビルマに服属。 |
| (4)ラッタナコーシン朝時代--半独立国からタイ王国の一部へ | |
| 1774年- | トンブリー王タークシンがビルマ支配下のチエンマイを攻撃すると、プレー国主パヤー=マンチャイもビルマに反抗、ビルマの拠点チエンセーンを攻撃した。 |
| 1894/5年 | シャム(バンコク)による中央集権化とラーンナー地方の統治改革。プレーに官僚を送り込み、国主の実権を奪う。 |
| 1902年 | プレー反乱 プレー総督としてバンコクから派遣されたプラヤー=チャイヤーブーンพระยาไชยบูรณ์の政治に対して、住民のタイヤイ族(ギオ)40-50人が反乱。他の住民や国主チャオピリヤテーパウォン(最後のプレー国主)เจ้าพิริยเทพวงศ์一族の支援を得て、プレーを制圧、総督ら中部タイ人多数を殺害したが、3週間後に鎮圧された。国主はルワンプラバーンへ逃亡。 |
| 19世紀末 -20世紀前半 |
チーク材の伐採で繁栄 |
| 1944年 | 北タイにおけるセーリータイ(太平洋戦争中の抗日組織)の活動拠点となる |




