| (1)建国とプーカー王朝の時代 | |
| 1282年ころ | プーカー王 พญาภูคา がメコン川上流より民衆を率いてヤーン国(今日のナーン県ブア郡付近)を建国したという |
| 13世紀末 | プーカー王の次男・クンフォーン ขุนฟอง がウォラナコーン国(今日のブア市)を建国 ・南方のスコータイ朝(1240ころ-1438年)との関係を深める |
| 1353/54年 | カーンムアン王 เจ้าพระยาการเมือง がスコータイの寺院建設に協力し、リタイ王から仏舎利と金銀のお守り仏を授かり帰国。ナーン川東岸のウィアンプーピアンにワット=プラタートチェーヘンを建立して祀る |
| 1359/60年 | カーンムアン王は、スコータイとの関係強化のため、都を南方のウィアンプーピアンに移す |
| 1368/69年 | パーコーン王 เจ้าพระยาผากอง は、干ばつに襲われた都に替わり、ナーン川西岸の現在のナーン市に遷都 |
| 1392/93年 | パーコーン王とスコータイのマハータンマラーチャー2世が戦時の協力を誓う。両国の同盟は、1438年にスコータイがアユタヤに征服されるまで継続 |
| (2)ラーンナータイ王国の支配 | |
| 1449年 | 侵入したラーンナータイ王国(チエンマイ)のティローカラート王に服属。プーカー王家断絶 |
| ・文化面では、スコータイの影響が徐々に薄まり、ラーンナータイの影響が強まる | |
| (3)ビルマの支配 | |
| 1558年 | ビルマのバインナウン王がチエンマイを占領。以後200年あまり、ナーンはビルマに服属。 |
| ナーンは何度も独立をめざしてビルマに挑んだ。とくに1703/04年には、町や寺院が焼かれ、多くの住民が森の中に避難したり、ビルマの捕虜になり、町は荒廃した | |
| (4)ラッタナコーシン朝時代--半独立国からタイ王国の一部へ | |
| 1788/89年 | ビルマが指名したナーン国主アッタウォンパンヨー เจ้าอัตถวรปัญโญ は、バンコクのラーマ1世に服従。以後ナーンを再建するため、タイルー族をナーンへ移住させる |
| 1893年 | シャム危機(仏艦隊がチャオプラヤー河口を封鎖)。タイはメコン東岸を仏へ割譲。ナーンは仏領ルアンパバーンに接する国として重要性が高まる。 英仏帝国主義の脅威を受けたタイは、中央集権をはかるため、ラーンナー地方の統治を改革。バンコクより官僚を送り込んで来る |
| 1903年 | ラーマ5世はチエントゥンの反乱鎮圧の功にこたえ、ナーン国主スリヤポーンパリットデート เจ้าสุริยพงษ์ผริตเดช をナーン国王に任じた |
| 1904年 | ナーンの一部(サイニャブリー)を含むメコン西岸の一部を仏へ割譲 |
| 1931年 | 最後のナーン国主マハープロムスラターダー เจ้ามหาพรหมสุรธาดา の逝去にともない完全にタイの一県となる |
| 1970年代 | タイ国共産党がナーン県を拠点に活動 |



