
ナーン 見どころ紹介(1)
市内の寺院など
◇ワット=プーミン วัดภูมินทร์
ワット=プーミン外観
町のほぼ中央に鎮座する、ナーンを代表する寺院。
ナーンの王朝年代記によるとナーン国主プラチャオ=チェータブットプロマミン
พระเจ้าเจตบุตรพรหมมินทร์ が、仏暦2139年(西暦1596-97年)にこの寺院を建てたという。そのおよそ300年後の仏暦2410年(西暦1867-68年、ラーマ4世代後期)、チャオアナンタウォラリットデート
เจ้าอนันตวรฤทธิเดชの時代に、7年がかりの大修復が行われた。
本堂と礼拝堂が一つの建物であること、四方の入口に施されたラーンナー様式の精緻な浮き彫りが特徴だが、何といっても見どころは、当時の人々の生活を物語る
本堂内の壁画であろう。
北タイの経典によると、もとはその国主の名前から「ワット=プロマミン」といったが、その後今の名前に変化した、とある。
本 堂
背中合わせの4体の仏像
タイで唯一、東西南北の4面対称形でつくられた寺院である。建物は、本堂でも礼拝堂でも仏塔でもあり、東西方向には礼拝堂、南北方向には本堂として使われる。北入口の階段の両側には、ナーガ(竜王)が2頭飾られている。
建物の中央には、大きな仏像が4体四方の扉を向いて座っている。仏像の背中に挟まれるように、仏塔が立っていて、頭頂部は天井まで達している。
チーク製の大きな一枚板(厚さ8cm)でできた扉にも注目したい。ツタ模様のデザインや花、実、動物の浮き彫りが施され、ナーンの職人技が光る。
この建物は、かつて第2次大戦中に1バーツ札の絵柄に採用された。今も寺院のみやげ物屋にそのレプリカが売られていた。
↑ 東側の壁画。左上の人物像は140年前の大改修時の国主と伝えられる
↑ 釜ゆで地獄。地獄絵がたくさんあった。
◇ワット=プラタートチャーンカム วัดพระธาตุช้างค้ำวรวิหาร
手前が大礼拝堂。奥がチェディー
ワット=プーミンのはす向かいに位置する、大きな仏塔(チェディー)がひときわ目立つ寺院。仏暦1949(西暦1406-07)年、ナーン国主チャオプーケン
เจ้าปู่แข็ง の時代、都ナーンに「ワット=ルアン」として建立され、重要な仏教行事が執り行われた。この寺院で発見された碑文によると、仏暦2091(西暦1548-49)年にナーン国主パヤーポンテーパルーチャイ
พญาพลเทพฤาชัย によってウィハーンルアンの改修が行われた、という。
チェディー=チャーンカム
象は各面5頭いる
チェディー=チャーンカム
スリランカ様式の釣り鐘型チェディーで、基底部一辺が18m、高さは33mある。チェディーの周囲を、漆喰でできた各面5頭の半身の象(チャーン)と、各角に位置する4頭の、合計24頭の象が取り囲み、チェディーを支えている(カム)ように見える。このデザインは、スコータイの
ワット=チャーンロムにたいへんよく似ているが、これは13-15世紀、ナーンの支配者とスコータイ朝の王家とが親しい関係にあり、スコータイの美術がナーンにもたらされたためである。
現在は一部修復され、塔の上部と、一部の象の飾りに金箔が施されている。
スコータイ様式の黄金仏
チャーンカムの黄金仏
黄金仏が収められた経蔵
大礼拝堂の並びの経蔵に安置されている、黄金65%、高さ145cmの仏像「ナンタブリーシーサーカヤムニー仏」。仏暦1969(西暦1426)年、ナーン国主チャオグアラーンパースム
เจ้างั่วฬารผาสุมの(寺院の建設者チャオプーケンの孫、プーカー王朝14代)がつくらせた。長らく漆喰に覆われていたが、西暦1955年11月、2名の考古学者によって「発見」された。
この仏像が納められている経蔵は、仏暦2453(西暦1910-11)年、プラチャオ=スリヤポンパリットデート
พระเจ้าสุริยพงษ์ผริตเดชฯ の時代、三蔵を納めるために建てられたもので、奥行き32.5m、幅11m、高さ26mと、タイで最大の経蔵である。
ワットー=チャーンロム
(スコータイ)
ウィハーンヤイ(大礼拝堂)
扉脇のレリーフ
チエンセーン様式の本尊
14世紀ころの本尊は、チエンセーン様式の漆喰製で、ナーンの職人によるものである。ラーンナー様式の建物は、内部も美しく装飾が施されている。壁画も見られるが、薄くてはっきりとは見えにくい。残念ながら半世紀ほど前に、説教を聞くのに妨げになるという理由で塗られてしまったのだという。
寺院奥の小さな仏塔
◇ナーン国立博物館 พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติน่าน
建 物
国立博物館
ラーマ5世代に導入されたヨーロッパ様式と、地元の建築が融合した建物。もとはナーン国主プラチャオ=スリヤポンパリットデート
พระเจ้าสุริยพงษ์ผริตเดชฯ の御座所兼執務所として、仏暦2446(西暦1903-04)年に建てられた。その後、ナーン県庁として使われたが、西暦1974年にナーン国立博物館として改修された。
おもな展示物
博物館は2階に分かれている。
1階は、機織り機や日用道具といった民俗資料などが展示される。とくに、ナーン県に住む様々な民族(タイルー、モン、ヤオなど)の生活のジオラマ展示は、たいへんわかりやすい。
2階は、ナーン県で見つかった先史時代からナーン国主の時代までの古い文物が展示されている。その中でとくに注目すべきは、ナーン市の幸運のシンボルともされる
黒い象牙である。第5代ナーン国主プラヤーカーンムアン
พระยาการเมือง の時代(14世紀)に、チエントゥン(現在のビルマ・シャン州のチャイントーン)からもたらされたと伝えられ、代々ナーン国主の財産として継承されてきたものである。象の左牙で、実際は黒というより茶色に見えるが、長さ94㎝、最大幅47㎝、重さ18㎏の象牙が、クルック(ガルーダ)の2本の手によって支えられ、ガラスケースの中に厳重に収められていた。
入場料100B(タイ人20B)
開館 毎日9:00-16:00
・博物館正面の立像は、プラチャオ=スリヤポンパリットデートである。
◇ワット=フアクワン วัดหัวข่วง
ワット=フアクワン全景
上記博物館の近くに位置する、こぢんまりとした静かな寺院。本堂の後ろには、左に木製の美しい経蔵、右にランナー様式の古い仏塔が並んでいる。寺院の建設年代は不明だが、仏暦2425(西暦1882-83)年にナーン国主チャオアンナタウォラリットデート
เจ้าอนันตวรฤทธิเดช によって、つづいて仏暦2472(西暦1929-30)年、最後のナーン国主マハープロムスラターダー
เจ้ามหาพรหมสุรธาดา 時代に修復されたという記録がある。
木製の古い経蔵は、屋根の破風や壁面が木板で装飾され、素朴な美しさがある。一部には彩色のあともあるが、木の地肌が現れた今の方が好ましい気がする。仏塔は、建築様式から推測すると、西暦15-17世紀頃のものだとされる。仏塔上部には四面に龕がうがたれ、それぞれ仏像が祀られていた。
本堂後方の経蔵と仏塔
木製の美しい経蔵
仏塔の上部
◇ワット=スアンターン วัดสวนตาล
ワット=スアンターン
プラチャオソンティップ仏
城壁外北側に位置する。仏暦1955(西暦1412-13)年ころ、パヤープーケンの王妃プラナーンパトゥムマーワディー
พระนางปทุมมาวดี によって建てられた。大きなさとうきび畑(スアンターン)の中に建てられたことが、この寺院名の由来になっている。
ウィハーン後方の仏塔、もとはスコータイ様式の形であったが、その後仏暦2447(西暦1904-05)年、ナーン国主プラチャオスリヤポンパリットデート
พระเจ้าสุริยพงษ์ผริตเดชฯ が改修させた時、今の形になった。
寺院内には大きな「プラチャオソンティップ仏」(高さ約4.3m)が祀られる。これはチエンマイ王ティローカラート王
พระเจ้าติโลกราช が仏暦1993(西暦1450-51)年、ナーン国を支配下に置いた戦勝を記念してつくらせたものである。毎年ソンクラーンの時期には、御利益を得ようとナーンの人々が礼拝と水かけの儀式を執り行う。
仏塔を下から見上げる
◇城壁あと
北側城壁あと
上記ワットスアンターンへ行く途中、土手の上に薄く焼かれたレンガ積まれた、高さ2m余りの城壁のあとがあった。奥の方には城門らしきものも消えた。城壁に囲まれていたこの町も、現在はほとんど取り壊されてしまっている。この辺りもいずれ土に帰ってしまうのだろうか。部分的にでも保存されることを望みたい。