西の城門・マハーワン門から道なりに西へ1kmほど行くと、左手に変わった形の仏塔が見えてくる。これがワット=チャーマテーウィーだ。
ラムプーンで一番古い寺院と伝えられ、起源はハリプンチャイ王国時代の8〜9世紀までさかのぼるといわれる。
メインの仏塔「チェディー・スワンチャンコート」(別名「チェディー・クークット」)
仏塔の仏像たち
寺院の入り口
寺院の入り口には、赤い門柱の上に獅子が見張っていた。ここから例の仏塔がよく見える。
八角形の基壇の上に、四角形の塔が5層積まれている。高さは約21m、基底は15.35m。各層には、各面3箇所の龕(がん)がうがたれ、それぞれに1体ずつ仏像が安置されている。つまり合計3×4面×5層=60体の仏像が祀られている訳だ。仏塔の表面は白い漆喰が塗られ、装飾が施されているが、時の流れの中で部分部分剥落してしまった。また、塔の頂上には「クー」とよばれる飾りがあったが、今は失われてしまっている。
このような独特の様式(ハリプンチャイ様式)は、この寺院の
ラッタナ・チェディーや、この町の
ワット=プラタート・ハリプンチャイのチェディー・スワンなどにも見られるが、ラーンナータイやスコータイの寺院建築に影響を与えたといわれる。
ラムプーンのチェディー
スリランカのチェディー
この塔に似た仏塔が、遠く海の向こう、スリランカ中部の古都・ポロンナルワのサトマハル=プラサーダ(12世紀ころ)だという。このころポロンナルワとタイ・ビルマ間で、僧侶らの往来がさかんで、サトマハル=プラサーダもタイから来た建築家が建てたらしい。こうして写真を見ると確かによく似ている。5層の四角形の塔、各層に仏像を置く龕(がん)という基本的な部分は全く同じだ。ただしスリランカのものは、上層には各面仏像は1体のみだったようだ。また仏像は失われている。
ラッタナ・チェディーの仏立像
ラッタナ・チェディーの全景
礼拝堂の脇に立つ八角形の仏塔。直径4.4m、高さ11.5mで、八角形の各面の龕(がん)にはそれぞれ仏立像が安置されている。女王チャーマテーウィーの血を引くハリプンチャイ国王パヤー・サンパシットが、12世紀に建立したものである。
メインの仏塔に隠れて忘れられがちだが、造形バランスのよい仏塔だ。
ワット=プラタート・ハリプンチャイのほぼ正面、クワン川に木造の屋根付き橋が架かっている。「クア・ムン・ターシン」、いずれも北タイ語でクアは橋、ムンは屋根という意味である。以前この辺りにターシン門という城門があったが、対岸のヨーン人の村と町を結ぶためにこの橋が架けられた。
赤い屋根と白い橋(両側にバイク用の新しい橋が加えられている)は、どこから見ても絵になる。とくにクワン川に映った姿はなかなか美しい。
橋には「カート・クア・ムン・OTOP・ラムプーン」(ラムプーンOTOP=一村一品運動=屋根付き橋市場)という看板がかかる。橋の上には両側に服飾や雑貨を扱う店が並んでいた。
町の中心側から見た橋
橋の上の売店
ウィエンヨーン村側から見た橋
ワット=トンケーオと織物センター
ウィエンヨーン村の看板
ターシン橋を渡ると、バーン・ウィエンヨーン(ウィエンヨーン村)である。道の左側にワット=トンケーオという寺院がある。境内には民俗資料館があったが閉まっていた。別の一角には「織物センター」があり、数人の中年女性が昔ながらの機織り機で布を織っていた。見ているとおじいさんに即売コーナーに招かれた。綿も絹もあるが、一番安い綿布で1枚700Bだという。おじいさんが言うにはその布1枚織り上げるのに7日かかるそうだ。手織りの味わいがあるので、自分で仕立てられる人にはいいお土産になるだろう。
ヨーン(Yoong)人とラムプーン
今日ラムプーンの人口の90%を占めるヨーン人は、元来今の中国・雲南省シップソーンパンナー地方に住んでいたタイ・ルー族に近い集団である。18世紀末にビルマから独立を果たしたチエンマイ王カーウィラは、ラーンナータイ王国再建のため、北タイ語に近い言葉を話す人々を各地から連行していた。
天然痘のため荒廃していたラムプーンにも人を入植させようと、カーウィラは1805/06年にヨーン人の国へ至った。ヨーン人の君主は争いを好まず、カーウィラの望みを聞いて住民を率いてラムプーンに行くことにした。その際行きたくない住民には髪を剃るように命じたところ、多くの住民がそうした。それを見たカーウィラは、剃髪した住民は従順で争いを好まない人と考え、皆ラムプーンへ連行した。そしてカーウィラはヨーン人の君主の行いに報いるため、クワン川の東岸に土地を与えた。これが今のウィエンヨーン村である。