ラムパーン市内 見どころ紹介(3)
ワン川北側のその他の見どころ
ワン川を南から北へ渡ると、大きな商店はめっきり減り、静かな住宅街が広がっている。その中にいくつか見どころが点在している。歩いてまわるのはしんどい。馬車か自転車でのんびり訪ねるのがちょうどいい。
◇ワット=プラチェディーサーオラン ◇バーン=サオナック ◇ワット=ポンサヌックタイ
◇ワット=プラチェディーサーオラン
20基の仏塔が並ぶ
ラムパーンの城門を出て北へ約2km、田畑の中に位置する。白いチェディーがほぼ正方形に20基(北タイ語で「サーオ」は20、「ラン」は基という意味)並び壮観だ。中央のものが一番大きく、祭壇が設けられお参りできるようになっている。
また、入口から見て右手奥の小さな池の上の立つ礼拝堂には、1983年に近くで見つかった、400年ほど前の黄金仏がガラスケースの中に祀られている。
仏塔群中央の礼拝所
仏塔群遠景
仏塔の周りの十二支
仏塔の守護神
寺院の来歴
かなり以前からあった寺院らしいが、20世紀初めまでは住職もいない、全く荒れ果てた寺院だった。1914年、ビルマのマンダレーから「ウー=チャヤンター」という名前の高僧が、ラムパーンにいるビルマ人僧侶に対する教育を目的にラムパーンを訪れ、3年間ワット=パーファーンの住職を務めた。彼はビルマからこの寺院に歴史に関する記録をもたらし(この地を支配したビルマが、記録を持ち去ったか、連行した人間から聞いた言い伝えを記録した可能性がある)、この地の人々に聞かせた。写本まで作ったのだが、それは残念ながら紛失してしまった。その言い伝えは……
2人の高僧の言い伝え
アショーカ王(紀元前4世紀)の時代、第3回仏典結集(けつじゅう)が行われたころ、2人の高僧が修行と布教に適したこの土地にやってきた。そのため多くの人が仏教に帰依した。当時の支配者・チャオパヤーミリンも仏教に篤く帰依し、仏教が永遠に栄えるようここに何か建てたいと願い、2人の高僧に相談した。高僧たちがその提案を喜んで、髪を手でとくと1人10本ずつ、計20本の髪の毛が手についたので、それをチャオパヤーミリンに与えた。彼は髪の毛を1本ずつ入れ物に入れて埋め、その上に1基ずつチェディーを建てたという。
その後、2人の孤児の兄弟がこの地にやってきた。2人は貧困のどん底にあえぎ、前世までに徳を積んで来なかったことを悔やんだ。そこで2人は1人1本ずつ井戸を掘り、1人1本ずつマンゴーの木を植え、僧侶に寄進した。それ以後この寺院はたいへん繁栄したという。
この言い伝えを聞いた地元の人々は、3日間かけて、茂みの中に埋もれていたこの寺院を発見し、修復に着手した。20基のチェディーはビルマ人の職人がすべて再建し、1921年に完成した。またボート(本堂)も1934年に完成した。
※以上、寺院でいただいたタイ語のパンフレットを抄訳しました。
黄金仏のウィハーン
黄金仏
チョムプーの実
馬車からの眺め
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(1)ボート(本堂)の仏像
(2)他のウィハーン
(3)ネコがたくさん寝そべっていた
◇バーン=サオナック
築100年以上の古民家
1895年、ビルマのモン族出身でラムパーンにやって来た、モンチャンオン=チャンウィロート(Mong Chan Ong Chandraviroj)が建てた邸宅。現在の所有者は、その孫のクンイン=ウァライリーラヌート女史(Khunying Valai Leelanuj)である。ベランダはビルマ式、屋根はラーンナー式と、両方の様式の混交で建てられている。その名の通り、116本のチーク材の柱が家を支えている。
1964-74年の改修では、コンクリート製の柱の土台の追加、合板による柱の補強、鉄板によるチーク製の樋の補強などが行われた。
内部は家具、漆器、銀製品などが展示され、当時の生活がしのばれる。
入場 毎日 10:00〜17:00。50B(飲み物代込み。タイ人30B)
バーン=サオナックの内部
◇ワット=ポンサヌックタイ
ワン川北岸から200-300m入った所にある。中央部のウィハーン(礼拝堂)は、やはり何層もの屋根を持つビルマ式のものだが、竹で足場が組まれ修理中だった。黒く焦げてしまった部分もあるので、火事が起きたのかもしれない。中心には4体の仏像が四方を向いて鎮座していた。
中央部のウィハーン
ウィハーン上部の飾り
仏塔
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(1)ウィハーンの仏像
(2)寝仏