15世紀半ばに創建され、18世紀初めに修復された寺院で、象が取り囲むチェディーが美しい。隣接する本堂も屋根こそないが、壁が残り、建物としてよく残っている。かなり保存状態がよい遺跡だと思う。この遺跡に向かい合ってかなり大きな寺院があり、こちらの方は僧侶やメーチー(白衣をまとって剃髪した女性)が常駐している。 詳細 1438年、ボーロマラーチャーティラート2世(チャオサームプラヤー王)の治世に建てられた、と言われる。象がチェディーを取り囲むという、スコータイに多い様式のチェディーと、王がもとピッサヌロークの統治を担当し、スコータイ王家出身の妃と結婚したことは、何らかの関係がうかがえる。
1569年、アユタヤを占領したビルマ軍はこの寺院を駐屯地とした。その後、アユタヤ朝後期の1709年、ターイサ王はこの寺院の改修を命じたが、完成までの3年間、1か月か2か月に1度、王が現場に来て自ら作業のアドバイスをしたという。修復が完成した1713年には、7日間の祝祭が盛大に開かれた。
現在、チェディーは上部が崩れ落ちているが、その部分はチェディーの脇に固定され、保存されている。大きな本堂(18m×36.8m)の中には仏像が祀られ、今も信仰の対象として花や線香が手向けられている。壁や柱はよく残り、レリーフなども見ることができる。
1569年、アユタヤを占領したビルマ軍はこの寺院を駐屯地とした。その後、アユタヤ朝後期の1709年、ターイサ王はこの寺院の改修を命じたが、完成までの3年間、1か月か2か月に1度、王が現場に来て自ら作業のアドバイスをしたという。修復が完成した1713年には、7日間の祝祭が盛大に開かれた。現在、チェディーは上部が崩れ落ちているが、その部分はチェディーの脇に固定され、保存されている。大きな本堂(18m×36.8m)の中には仏像が祀られ、今も信仰の対象として花や線香が手向けられている。壁や柱はよく残り、レリーフなども見ることができる。
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