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  アユタヤ 見どころ紹介(6) 島外北東部

  鉄道駅の東側にあたるこの地域は、車の通りも少ない静かな住宅街で、訪れる観光客はほとんどいない。しかし、パーサック川と運河に囲まれたこの辺りは、アユタヤ建都以前の古い町の中心地だったと推測され、大きな寺院が点在する。しっとりした遺跡に出会いたいならば、この辺りはお勧めだ。  このページの内容 
1.ワット=マヘーヨン
2.ワット=クディーダーオ
3.ワット=アヨータヤー
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1.ワット=マヘーヨン
ワット=マヘーヨン クリックで拡大   15世紀半ばに創建され、18世紀初めに修復された寺院で、象が取り囲むチェディーが美しい。隣接する本堂も屋根こそないが、壁が残り、建物としてよく残っている。かなり保存状態がよい遺跡だと思う。この遺跡に向かい合ってかなり大きな寺院があり、こちらの方は僧侶やメーチー(白衣をまとって剃髪した女性)が常駐している。
 詳細  1438年、ボーロマラーチャーティラート2世(チャオサームプラヤー王)の治世に建てられた、と言われる。象がチェディーを取り囲むという、スコータイに多い様式のチェディーと、王がもとピッサヌロークの統治を担当し、スコータイ王家出身の妃と結婚したことは、何らかの関係がうかがえる。
ワット=マヘーヨン クリックで拡大 ワット=マヘーヨン クリックで拡大   1569年、アユタヤを占領したビルマ軍はこの寺院を駐屯地とした。その後、アユタヤ朝後期の1709年、ターイサ王はこの寺院の改修を命じたが、完成までの3年間、1か月か2か月に1度、王が現場に来て自ら作業のアドバイスをしたという。修復が完成した1713年には、7日間の祝祭が盛大に開かれた。
  現在、チェディーは上部が崩れ落ちているが、その部分はチェディーの脇に固定され、保存されている。大きな本堂(18m×36.8m)の中には仏像が祀られ、今も信仰の対象として花や線香が手向けられている。壁や柱はよく残り、レリーフなども見ることができる。
  入場     無料
雰囲気のよい遺跡だったが、2003年に行ったときにはすぐそばに観光センターがオープンし、象や牛車に乗って遺跡を回れるようになっていた。
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本堂(前面)
本堂(裏面)
ライオンのアップ
広々とした境内
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2.ワット=クディーダーオ
ワット=クディーダーオ クリックで拡大   近くのワット=マヘーヨンと対になったような、よく似た寺院である。メインのチェディーはかなり崩壊してしまったが、本堂はよく残り、柱の頂上部につけられた蓮のつぼみの意匠が美しい。寺院の右手(北)に残る2階建ての建物あとは、アユタヤ朝後期、当時の副王が自ら改修作業を視察するため滞在した宮殿跡である。
 詳細   壊れたチェディーを見ると、改修以前に古いチェディーがあった可能性があり、そうするとこの寺院はアユタヤ朝初期にまでさかのぼるという。この寺院も、ワット=マヘーヨンと同じころ、ターイサ王の時代に、王弟で副王でもあったのちのボーロマコート王が、完成までの3年間あまり、1711〜14年にかけて、1か月か2か月に1度ここ(北の宮殿)に滞在して、自ら作業のアドバイスをしたという。このころはアユタヤ朝が政治的にも経済的にも安定していた時代だった。完成時にはやはり7日間の祝祭が盛大に開かれた。
  寺院の境内は、256m×63mの四角いレンガの壁に囲まれ、スマートなアーチ型の門が残る。メインのチェディーの東側に位置する本堂(12m×40m)は、正面に中央に大きな入口、その左右にやや小さい入り口が2つ、計3つの入口を持ち、天井はないが壁や内部の柱はよく残っている。
ワット=マヘーヨン クリックで拡大 ワット=マヘーヨン クリックで拡大 ワット=マヘーヨン クリックで拡大
  入場     無料
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副王の宮殿
本堂の柱
裏から見た本堂
本堂の内部
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3.ワット=アヨータヤー
ワット=アヨータヤー クリックで拡大    ワット=クディーダーオの北、民家が集まる村の一角にある。今も現役の寺院を入ると、奥の方に、崩れかけ草や木が生えた古ぼけたチェディーが1基、土台だけ残るプラーン(トウモロコシ型のクメール風の仏塔)が1基残されている。
 詳細  創建は不詳だが、1350年のアユタヤ建都以前までさかのぼるという。以前ここは支配者の宮殿があったが、その移転後に寺院になったという、ワット=プッタイサワンと同様な言い伝えが残っている。この寺院の付近は、アユタヤ建都以前の町(アヨータヤー)の中心地だったと推測されている。
  入場     無料
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