アユタヤ 見どころ紹介(4) 島外西部・南部
大きく迂回するチャオプラヤー川に沿って、大小様々な寺院が並んでいる。中心部からはずれているので観光客は少ないが、それぞれ個性的なものなので興味は尽きない。
大きな本堂にもびっくりだが、中に安置された金ぴかの宝冠仏にも圧倒される。本来仏像は修行に励むブッダの姿を写し上半身裸なのだが、この宝冠仏は文字通り美しい冠と衣装を身につけており、アユタヤ美術独特のものだという。威風堂々としたその姿は、当時の国王の姿を彷彿とさせ、アユタヤの繁栄を物語るものかもしれない。
宝冠仏は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)を表しており、未来仏である弥勒は、現在トサツ天で天人たちを相手に説法をしている。そのため天人たちと同じ服装をしているという。別の説では、宝冠仏はブッダ修行の故事にもとづくという。悪魔はブッダの修行をじゃますべく美しく着飾って踊ったが、ブッダは自らもっと美しく飾り立てて悪魔を追い払った。その姿を表しているという。
島外の北西部約2kmのところ、田園の中に高さ90mの白いチェディーがそびえ立つ。ワット=ヤイチャイモンコンのチェディー(高さ92m)に次ぐ、アユタヤ第2の高さを誇る。街から少し遠いうえに、チェディーの急階段で息は切れるが、登ればアユタヤの豊かな風景が一望できる。
写真をもっと見る→
塔の上から
広大な緑の芝生に大小のプラーン(クメール風の仏塔)がそびえ立つ姿は、アユタヤで一番の壮観かもしれない。アユタヤ朝初期のクメール風建築の復活をめざしたプラサートトーン王によって1630年に建立された。アユタヤ滅亡時にビルマ軍の駐屯基地になり、その時首を切られた仏像が回廊にずらっと並ぶ姿は痛々しい。チャオプラヤー川沿岸に位置するが、正面は川の方(東側)に向いているので、ぜひそちらから全景を見てほしい。
詳細
プラサートトーン王は、王位に就いた直後、亡き母親の供養のためにその住居跡にこの寺院を建立した。または、この寺院はカンボジアとの戦勝記念に建立されたもので、そのためにクメール風の建築にしたのだという説もある。
なお、この寺院にはアユタヤ時代を代表する詩人の一人、チャオファー・タンマティベートとその愛人の遺体が埋葬されている。タンマティベートはボーロマコート王の王子であったが、父王のハーレムに侵入して密通を重ねたため、2人とも庶民に落とされた後鞭打たれ絶命した。
写真をもっと見る→
別角度からみた全景
真正面からの全景
回廊の仏像
プラーン上から
ワット=チャイワッタナーラームからチャオプラヤー川をしばらく下ると、左手に一見アユタヤに「ふさわしくない」感じの、オレンジ色の教会が現れる。アユタヤ朝後期、17世紀後半のナーラーイ王の時代に、フランス人居住区に創建されたこのカトリック教会は、当時のアユタヤの国際性を示している。
ナーラーイ王が亡くなると、王位を奪ったペートラーチャー王はナーラーイ王の親フランス政策を改め、フランス人を逮捕しこの教会も取り壊したが、その後教会や学校の再建を許した。ビルマ軍によるアユタヤ占領の際、ここはビルマ軍の基地とされ、最後は焼き払われてしまった。
ワット=チャイワッタラーナームから、チャオプラヤー川を少し下ったところにある寺院。アユタヤ朝の開祖・ラーマーティボディー1世(ウートーン)王が最初に建てた宮殿の跡地に建てられた。仏像の並ぶ回廊がクメール式仏塔(プラーン)を取り囲んでいる。僧侶が住む現存の寺院なので、プラーンや回廊などは修復されているが、回廊の東側(奥側)には古い寝仏やチェディー、建物跡などが残り、遺跡の雰囲気も味わえる。
メインになるプラーンは、その言い伝えどおりアユタヤ朝初期のものだといわれるが、一方ではアユタヤ朝後期のナーラーイ王かそれ以後のものだというの説もある。その後ラーマ5世王のご訪問にあわせて修復され、さらに近年白く塗られた。プラーンを囲む回廊とそこに並ぶ仏像は、今は遺跡と化したワット=チャイワッタナーラームなどの寺院の、往時の様子を彷彿とさせる。
写真をもっと見る→
三人の王の銅像
回廊に並ぶ仏像
遺跡部分の寝仏