遺跡となった建物あとに興味を持つ人は少ないのだろう、この辺りを訪れる人は意外に少ない。夕暮れ時、当時の栄華に思いをはせながら散策してみたい。芭蕉の「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」という句が頭をよぎる。
詳細
元来の王宮は、南側の今のワット=プラシーサンペットの場所にあったが、15世紀後半のトライローカナート王がその北、今の場所に移した。おもな建物は次の通り。(番号と右の図は一致する)
@サンペット=マハープラサート宮殿・・・・トライローカナート王が一番最初に建てた建物で、王の即位式や元服式(頭のまげをそり落とす儀式)のほか、外国使節の謁見も行われ、ラーマーティボディー2世王がポルトガルの使節を、ナーラーイ王がフランス王ルイ14世の使節を謁見したのもこの宮殿だった。
Aチャクラワット=パイチャイヨン=マハープラサート宮殿・・・・1632年、プラサートトーン王によって王宮の南東の角に建てられた。王宮前広場での閲兵式や観劇などの際に使われた。
Bウィハーン=ソムデット=マハープラサート宮殿・・・・サンペット=マハープラサート宮殿の南にある。やはりプラサートトーン王によって1643年に建てられ、即位式や元服式などが執り行われた。
Cバンヨンラッタナート=マハープラサート宮殿・・・・王宮の奥、池に囲まれて建つ。17世紀後半、ナーラーイ王のころ建てられた。
Dトリムック宮殿・・・・建設の時代や王名は不詳である。ラーマ5世王が再建し、王宮跡で唯一当時の面影が伺える建物である。
@サンペット=マハープラサート宮殿・・・・トライローカナート王が一番最初に建てた建物で、王の即位式や元服式(頭のまげをそり落とす儀式)のほか、外国使節の謁見も行われ、ラーマーティボディー2世王がポルトガルの使節を、ナーラーイ王がフランス王ルイ14世の使節を謁見したのもこの宮殿だった。Aチャクラワット=パイチャイヨン=マハープラサート宮殿・・・・1632年、プラサートトーン王によって王宮の南東の角に建てられた。王宮前広場での閲兵式や観劇などの際に使われた。
Bウィハーン=ソムデット=マハープラサート宮殿・・・・サンペット=マハープラサート宮殿の南にある。やはりプラサートトーン王によって1643年に建てられ、即位式や元服式などが執り行われた。
Cバンヨンラッタナート=マハープラサート宮殿・・・・王宮の奥、池に囲まれて建つ。17世紀後半、ナーラーイ王のころ建てられた。
Dトリムック宮殿・・・・建設の時代や王名は不詳である。ラーマ5世王が再建し、王宮跡で唯一当時の面影が伺える建物である。




