辺境の雰囲気漂う「3つの霧の都」
メーホンソーン

朝霧に浮かぶ寺院
タイ国の北西端の、小さな盆地に位置するメーホンソーン。山をひとつ越えるともうビルマです。・・・というより、この地域の川はサーラウィン川(ビルマ語ではタンルイン川)に流れ込むので、地理的にはビルマの一部といえます。住民の多くも「タイヤイ族」、つまり国境の向こうのビルマ・シャン州と同じです。
メーホンソーンはタイ語で「ムアン・サーム・モーク」、つまり「3つの霧の都」といわれます。乾季には放射霧、暑季には周辺の森で生まれた霧、雨季には霧雨―1年間通して霧に覆われる町です。
タイ国の片隅の小さな町ですが、周辺の様々なアトラクションも含めて、わざわざ足を運ぶ価値は十分ありそうです。
おもな見どころ メーホンソーンの略史 旅日記から 旅のパーツ 参考文献・サイト
◆おもな見どころ
メーホンソーン市内
チョーンカム池のほとりに並ぶ寺院は、一幅の絵のような雰囲気がある。町は決して広くないが、県庁所在都市としてにぎわい、朝の市場には山岳民族も買出しに来ている。西の小高い丘の上、ワット=プラタートドーイコーンムーからの景色も必見だ。
→(1)チョーンカム池周辺
→(2)その他
メーホンソーンの郊外
ビルマ国境の中国国民党の村、パダウン族(いわゆる「首長族」)や他の山岳民族の村、王族の離宮、滝、それにタム=プラー(神聖な魚の洞窟)や川の流れる大きな鍾乳洞・タム=ロートなど、なかなか興味深い見どころが多い。
→こちらから
山岳民族の村々
山に囲まれたメーホンソーン。周辺には様々な山岳民族の村が点在する。本来は「観光地」ではないが、ツアーのルートに組み入れられた村もある。「のぞき趣味」「観光公害」という批判もあるが、異なる民族の暮らしぶりを垣間見ることは、マイナスばかりではないと思う。
→こちらから
◆メーホンソーンの略史
1 地名の由来は、「象を訓練する、小川のある場所」
仏暦2374(西暦1831-32)年、チエンマイ王プラチャオ・マホートプラテート(Phra Cao Mahoot Pratheet)は、チャオケーオ・ムアンマー(Cao Kaeo MueangMaa)に命じて、使役させるための野生象の捕獲を行わせた。彼は山を越え、野生象がたくさんいるチエンマイの西に至った。彼は周辺のタイヤイ(シャン)族を集めて村を作り、パカーモーン(Phakaamong)が村長に選ばれた。これが今のパーンムー村である。野生象を捕獲し十分な数に達した後、村の南に小川が流れ平坦な土地がある象の訓練に適したよい場所を見つけた。そこでここに家を建てさせ、この村を「メーローンソーン(Mae Rong Soon)」と名づけた。象の訓練(タイ語で「ソーン」)をする、小川(タイ語で「ローンナーム」)のある場所という意味である。のちに訛って「メーホンソーン」となった。
2 町の建設は19世紀後半
仏暦2399(西暦1856-57)年、チャオファー・コーラーン(Caofaa Koolaan)とチャーンカレー(Chaankalee)に率いられて、多くのタイヤイ族が戦争を逃れてメーホンソーンへやってきた。チャーンカレーは、様々な仕事を精力的に行い、最初はパカーモンの娘を、その後チャオファー・コーラーンの孫娘チャオナーン・ミア(Caonaang Mia=第2代藩侯)を妻に迎え、自分の支配するクンユアムやメーホンソーンを発展させたので、仏暦2417(西暦1874-75)年にチエンマイ王チャオ・インタウィチャヤーノン(Cao Inthawitchayaanon)によって、初代メーホンソーンの藩侯に任じられ、パヤー・シンナートラーチャー(Phayaa Sing Naatraachaa)と称した。
その後藩侯は4代続いたが、19世紀末にはモントン・パヤップの一部となり中央から知事が派遣されるようになり、西暦1933年に現在のメーホンソーン県となった。
◆旅日記から
遥かなり、メーホンソーン
2007年12月〜08年1月の旅行の様子をまとめました。年始年末のため、大勢のタイ人観光客でにぎわう見どころをまわってきました。 →こちらからどうぞ
◆旅のパーツ
(1)
メーホンソーンへの道のり
(2)
移動&観光
(3)
旅のヒント
参考文献・サイト
この、メーホンソーンに関する部分は、次の書物やウェブサイトを参考にしました。
・石井米雄・監修 「タイの事典」同朋舎 1993年
・「ナーイ・ロープ・ルー パークヌア」サーラカディー出版社 2005年(タイ語)
・タイ国政府観光庁(TAT) http://thai.tourismthailand.org (タイ語)
・メーホンソーン県庁
http://www.maehongson.go.th (タイ語)